Late Fees 彼はどこにもいなかった。
検死官がヴァンに死体を運ぶのを手伝っているわけでもない。死体のあった部屋にも、廊下の奥のトイレにも彼はいなかった。
ほんの一瞬、彼女は、彼が一人で帰ってしまったのかと思ったが、二人が乗ってきた車は、今も寮の駐車場に駐めてあった。いらだつというより、むしろとまどいながら、彼女は息を吐き出し、素早く腕時計を覗き込むと、車まで歩き出した。確かに、急いでいるわけではなかったのだが。教師の死は、明らかに自殺だった。
あと15分で8時になろうとしていた。授業に向かうウォーターマン・アカデミーの寄宿生たちが、少しずつ、大きな寮から歩き始めていた。教師の死はまだ広まっておらず、何人かの生徒は、サラのいる方を興味深そうに眺めていた。彼女は、携帯を取り出すと、もう一度グリッソムの番号をダイアルした。
その時、聞きなれた着信音がすぐ近くから響き、彼女は驚いて振り返った。彼は、校舎のそばのベンチに座って、生徒たちを眺めており、ポケットの携帯は鳴ったままだった。
サラは、深く息を吸い込むと、グリッソムのところまで歩き出した。最近のグリッソムは、様子が変だった。犯罪現場でぼんやりしているかと思えば、気付かれているとも知らず彼女ををじっと盗み見ていたり。
「グリッソム」
彼は、驚いた様子で顔を上げた。「サラ。もう終わったのか?」
彼女は、少し眉を上げると、彼のコートポケットの、今も鳴っている携帯を見つめた。「ああ、ごめん」、そして少し寂しげに首を振りながら言った。「ぼんやりしていたよ」
「そうみたいね」サラは、グリッソムの隣に腰を下ろし、二人の視線は、学校に向かう子供たちに戻った。「まだ何も聞いていないのね」サラは、そう言うと、あごで子供たちのいる方向を指した。「ウォルター・リーの事」
「ああ、まだだ」彼は言った。「死体を見つけた、もう一人の寮母の口が堅くてね。ありがたい事に、生徒たちは死体が運び出されるのを見なくてすんだよ」
二人は、更に増え続ける生徒たちが、校舎に向かうのを見続けていた。最後のベーグルにかじりつく者もいれば、友達と興奮気味におしゃべりに興じる者もいる。
「あの子達は、これから起こる事を何も知らないんだな」グリッソムがつぶやいた。
「え?」
「彼らのほとんどは、誰かを失う経験はまだしていないだろう。親は二人とも生きていて、兄弟だっている。ある日突然、それはやって来るんだよ」
「そうね、いつかは経験するわ」サラはそう言うと、続けてつぶやいた。「みんなそうよ」
「人より早く経験する者もいる」彼は、悲しげに頷いた。「それが僕たち二人の共通点だ。色々共通点はあるが、そのうちの一つだろう」
サラは、グリッソムを横目で盗み見ながら、一体彼はどうしたのだろうと思った。そして、言った。「最近のあなた、何だか変ね」
彼は何も言わなかったが、彼女の言った事を認めているのだとサラは思った。
「わけはあるの?」
授業開始五分前のチャイムが鳴り、外をうろついていた学生たちが、校舎の中に入り始めていた。
考え深げにあごをこすりながら、グリッソムが言った。「子供の頃、君は図書館には行っていた?」
「……、ええ」サラは、驚きながら聞いた。「それが一体何の――」
「図書館の本を借りて、」サラの言葉をさえぎると、グリッソムは続けた。「それを期日までに返すのを忘れた事は?」
「ええ、もちろんあるわ」
「その後君はどうした?」
「私は……」彼女は肩をすくめながら、首を振った。「一日につき10セント払って、その後本を返したわ」
また彼は何も言わなかったが、今度の表情は悲しげだった。「そこが、僕たち二人が違うところだ」
「図書館の本を返さなかったの?ああ、だからあなたの部屋にはあんなに本があるのね?」
彼女を無視したまま、彼は続けた。「僕は子供の頃、町の公立図書館に通ってたんだ。毎週行っては、一度に三冊の本を借りてきた。もっと借りたかったが、三冊までと決まっていてね」
「そう……」
「それで、ある日、自転車で図書館に向かったんだが、着いてから、一冊だけ家に置き忘れてきた事に気付いたんだ。”アーサー王の死”だよ。すごく古い、革表紙版でね。12歳の僕を信用して、司書の女性が貸してくれたものだったんだ。で、彼女は、僕に、優しく、それを返すまでは他の本は貸せないと言ったんだ」
「なら、あなたは返し――」
「いや」グリッソムは、静かに否定した。「返さなかったんだ。彼女をがっかりさせたのが恥ずかしくてね。それに、母に、延滞料の事を言い出せなかった。決して生活が楽ではない事は分かっていたし、自分の給料は食費に当てたかったはずだ。僕のした事の尻拭いではなくね。だから……その本は返さなかった」
「今日までずっと?」
「今日までずっとだ」
「じゃあ……あなたは今も”アーサー王の死”を持っているのね」
「寝室の本棚にね」
サラは真顔で頷くと、言った。「今度借りてもいい?」
「サラ――」
「何?」彼女は笑うと、言った。「だって、私たち、学校の外のベンチに座ってるし、あなたは、昔返さなかった本の事でしんみりしちゃってるし――」
「本の事じゃないんだよ」グリッソムは突然言った。「僕の事なんだ。僕はいつもこうなんだよ。パターンなんだ。何か間違いを犯したら、怖くなって、その事しか考えられなくなる。ただ一つ、その間違いを正す事だけが出来ないんだ」
サラは、息をつき、ベンチに座りなおすと、今の話をもう一度考えてみた。ある考えが頭に浮かんだが、それを声に出すのは怖かった。「グリッソム……その本の話、今あなたに起きている事を思い出すと言いたいの?」
彼は、大きくため息をつくと、頷いた。
「あの……私がその本なの?」
「何だって?いいや」彼はそれを一蹴し、サラは、自分の胸が鋭く締め付けられるのを感じた。
「そう」
「君は図書館の方だ」
彼女は驚いて言った「何ですって?」
「スクールバスで、毎日図書館を通り過ぎるたびに、中にある本の事を考えたよ。何千冊という本をね。その全ての情報が、読まれるのを待っている。でも、僕は、怖くて中には入れないんだ」
彼女の手の下のベンチの木はザラついていたが、サラには、その感触がありがたかった。「ねえ、グリッソム」
「ん?」
「私には延滞料は無いわ」
「でも、あるんだよ、君には、サラ」彼は、やり切れないというように、言った。「君を遠ざけるたびに、君を傷つける事を言うたびに……そこにはかならずあるんだよ。埋め合わせをすれば良かったのかもしれない……多分、すぐそうしていれば……でも、もう時間は経ちすぎて、そうするには延滞料がかさみ過ぎて……」
その時、近くの車のホーンが鳴り響き、二人を驚かせた。振り向くと警察の車が二人の横に止まった。
「今無線が入りました」警官の一人が、声をかけた。「コンビニ強盗ですよ。ここから8kmくらいです。行きますか?」
グリッソムは立ち上がり、サラには、二人の時間が終わったと分かった。「早番を呼んでくれないか。わたしたちのシフトは終わったし、これからラボに戻って自殺の件を進めないと」
彼は駐車場へと歩き出し、サラは彼を追うように後に続いた。ラボへの帰り道は、二人とも何も話さなかった。それぞれの思いで精一杯だった。ラボに着くと、グリッソムはキットを掴み、足早にビルの中へと消えていった。
サラは、彼が行ってしまうのを見ていたが、突然微笑むと、携帯電話を取り出した。「ロニー?サラ・サイドルよ。ねえ……、あなた、まだあのラミネーターを持ってる?」
* * *
グリッソムが自分のオフィスに戻った時は、11時をすでに過ぎていた。レイアウトルームで、一人で教師の事件の書類仕事を片付けた。そうすればサラに会わなくて済むからだった。サラが間違いなく家に帰ったことがわかると、彼はゆっくりと自分のオフィスに入り、眼鏡をはずすと、深くため息をついた。
図書館の延滞料を持ち出すなど、愚かだった。彼の頭の中では、意味のある話だったはずのものも、声に出してみると、堅苦しく愚かでしかなかった。サラには、意味など分からなかっただろう。実際のところ、彼自身にも分からないのだから。
机の電気を消そうとしたその時、グリッソムは、いすの上に裏返しに置いてある、小さな封筒に気付いた。眉をしかめながら、グリッソムはそれを手に取り、表を見た。そこには、サラだとすぐ分かる走り書きで、彼の名前があった。
とうとう彼女は、ここから去ってしまうのだろうか。きっと自分のあいまいな態度に疲れ果てて、ここから――
封筒を開けた彼は、目を見開いた。そこにあったのは、小さなIDカードだった。その意味が心に広がると同時に、彼の顔には笑顔が広がった。
The End
いかがでしたか?
えーと、グリッソムの主語は、個人的には、
サラと二人でいる時に「わたし」ではイヤなので、
好みで「僕」にしました。
同じ理由で、サラには、オリジナル通り、
「グリッソム」と言わせています。
お好みに合わなかったらごめんなさい。
ペアリング(ロマンス)ありのficだと、
日本語で読むとどうしても気恥ずかしい感じは
あると思うので、出来れば、
原語でも味わってみてくださいね。
私の日本語は本当に素人の駄作なので、
内容を理解する助けにさえなっていれば、
役目は達成といったところです。
私がこの作品で好きなのは、何と言っても
ベンチのシーンですね。
どんなficでもそうなんだけど、この人たちが二人で
静かに会話をするシーンって、何とも言えない、
穏やかで切ない空気がながれるような気がして、
この作品も例外ではないです。
「もう君への償いは出来ないかもしれない」と
なかば呟くように言うグリッソムのシーンは、
訳している時も涙がジワーッと出てくるほどでしたよー。